第7話 たんたん、分析基盤と出会う
大切な前置き
このお話はフィクションです。実在の人物や団体、事件などとは一切関係ありません。
たんたん、依頼を受ける
知恵熱から復帰したたんたんは、今日も元気にグロースハックのお仕事をしていた。
そんなとき、とある部署の人からお声がかかった。その人とは前からの顔見知りで、たんたんが最近はグロースハッカーとしてデータを見ているということで、今回相談事を持ってきたようだ。
彼の所属する部署はフィットネスジムの運営をしているチームである。そのチームでは売上の管理を今はExcelでやっているが、分析用のデータベースを使ってそれができないかという相談だった。
細かい仕組みはわからないが、彼女が持っている知識を総動員して考えたところ、それは可能であるように思われた。分析用データベースに受注のデータを入れて、キャンセルなどの情報はSQLを書いて更新すればよいのだ。データが入れば、普段使っているBIツールであるところのredashを使ってそれを見ることが出来る。もしかしたらredashを使ってデータの更新もできるかもしれない。
そう考えたたんたんだったが、一体その作業を誰に依頼すれば良いのかがわからなかった。
「困ったときはよりーさんね。」
こうしてたんたんはよりーさんのところに向かった。
たんたん、分析基盤と出会う
「それだったら茜さんに相談だね。」
茜さんというのは、分析基盤というものを担当している人物らしい。分析基盤というのは、分析用のデータベースや、BIツールのことだから、それらを管理している人ということだ。そういえば、そういう人たちがいるということを以前聞いたなあと、たんたんは思い出した。
「それで、茜さんという方は、どのあたりの席にいるんですか?」
「そこが問題でね。茜さんの作業は基本的にリモートで、ミーティングがある日以外はオフィスにいないんだ。で、直近では茜さんが出席するミーティングがない。とりあえずSlackで相談したいことがあるって連絡して、返事を待つのがいいかな。」
SlackというのはF社の社内で使われているチャットツールである。グループでのチャットやダイレクトメッセージによる個人間のチャットが可能であり、業務連絡や報告、直接顔を合わせて話す必要のない議論などはSlack上で行われることが多い。
「そんな人がいるんですね。」
「雇用形態にもよるんだけど、F社も最近の時代の流れに沿って色々な働き方を認めているんだね。一旦連絡しておけば、深夜くらいには返事くれるんじゃないかな。日中は返事こないことが多いから、気長に待つのがいいよ。」
とにかく個性的な人らしいということだけは、たんたんは理解した。
たんたん、依頼を断られる
果たして、返事は深夜に来た。翌日の13時くらいからSlack上でお話しましょうという連絡だったので、たんたんは指定された時間にPCの前で待機した。
13時を少し過ぎたあたりで、Slackのアイコンが光り、ダイレクトメッセージで連絡が来て、チャットでのやり取りが始まった
akane:
「はじめまして。tantanさん。茜と申します。相談したいことがあると伺いましたけれど。どんな内容ですの?」
tantan:
実は、かくかくしかじかで
たんたんはフィットネスジムの運営をしているチームからの依頼の内容と、分析用データベースをうまく使えばその依頼に対応出来るのではないかという自分の考えをタイピングした。
akane:
なるほど。依頼の内容はわかりましたわ。
tantan
それで、分析用データベースでデータを更新したりっていうのをどうやってやればいいのかがわからなくて、ご相談したくて。
akane:
お待ちなさいな。わかったと言ったのは依頼内容までですわよ。その依頼自体は残念ながら対応できないですわ。
tantan:
え、このやり方は難しいんですか?
akane:
難しいか簡単かで言うなら簡単ですわね。でも、それは対応しちゃいけない依頼ですわ。
tantan:
え、なんでですか?
akane:
tantanさんは最近チームにいらしたんでしたよね。答えを教えるのは簡単ですが、まずはダメな理由をご自分で考えてごらんなさいな。
明後日の同じ時間にまたお話しましょう。そこであなたの考えを聞かせてくれれば、私の考えをお話します。それを合わせて対応方針を決めましょう。
そういうと、彼女はオフラインになってしまった。
途方にくれていると、それを見かねてよりーさんが彼女に声をかけてくれた。
「茜さんは、なんて?」
「それはやっちゃダメだからダメだと。理由は考えてみろって言ってました。」
「なるほど。茜さんがそう言うなら、まずは自分で考えるのがいいね。」
たんたんは、よりーさんにはこうなることがわかっていたのだと察した。であれば、これは自分で考えなくてはいけない課題なのだなと思った。
データ、消える
昨日の出来事から一晩考えてみたが、対応してはいけない理由というのが全くわからなかった。
たんたんが考えている方法であれば、今回の依頼の実現は可能である。もっとよい方法があるというのならばわかるが、対応してはいけないというのはどういうことなのだろう。
(まさか、新入りだから意地悪されてるとか。もしかしたら、その部署の人たちと茜さんに、過去になにかあったとか?)
そんなふうに邪推してしまいながら出社すると、どうもグロースチームがざわざわしていた。
慌てている様子のよりーさんに対して、たんたんは訪ねた。
「なにかあったんですか?」
「分析基盤の障害が起きてるっぽくてね。データが変なんだ。」
彼が言うには、分析用データベースに入っているデータの一部が消えてしまっているそうだ。たんたんが普段使っているダッシュボードを見ると、確かにデータがおかしいことが見てわかる。
「茜さんに見てもらうしかないなあ。起きてるかな。」
そう言いながら、彼は何やら動画の配信サイトにアクセスした。そこには、視聴者とやり取りする、二次元の女性キャラがいた。
配信のタイトルには、『Vtuber 秋野茜のお悩み相談コーナー』とあった。
「よかった起きてた。」
彼がキーボードを叩いて、目の前に映っている女性キャラに呼びかけた。『茜さん、すみません。緊急事態です』という文字が、動画に移り、自動音声で読み上げられる。
画面の中の女性キャラが慌てた様子でその読み上げに反応した。
「あー、視聴者のみなさん、本当にごめんなさい。お仕事が入ったみたいですわ。」
途端に怒涛のような書き込みの嵐が起きた。
「リアルお仕事来た」
「久々の緊急コールwwww」
「茜さんがんばってwww」
やがて配信がオフラインになり、そしてSlackのアイコンが光る。
akane:
@yorita 何が起きましたの?
つい先程まで画面の中にいたのが昨日チャットで話をした人物と同一であることを、たんたんはようやく理解した。
データ大修復
その後はSlack上で事態を説明したり、実際にデータに異常が出ている部分を茜さんに伝えたりということが行われた。
akane:
事情はわかりましたわ。対応します。まずは何が起きているのか確認からですわね。
yorita:
お願いします
データがおかしいとなると、グロースハックの作業において出来ることはかなり制限されてしまう。たんたんは、異動時に渡されたグロースハックの教科書を読みながら、データの復旧を待つことにした。
それから1時間後くらいに、茜からの返事が来た。
akane:
状況としては、半分くらいのデータベースからデータが消えてますわね。復旧は可能ですけど量が量なので、1日くらいかかりそう。明日の13時目処で復旧ということで社内に連絡しましょう。
詳しい状況とか再発防止策とかは口頭で話をしたほうがいいと思うので、久々に出社しますわ。復旧のためのスクリプトを打ってから身支度をして、2時間後くらいにつきます。ミーティングルーム抑えといていただけますか。
彼女が出社することになり、不謹慎ながらグロースチームでは少し盛り上がった。出社すること自体が本当に久しぶりらしい。
たんたんとしても、昨日の話もしたいし、まだあったことがないからお会いしておきたいということで、ミーティングに同席させてもらうことにした。
衝撃の事実
ミーティングの時間が近づいた。よりーさんは直前まで別のミーティングがあるということで、たんたんは先にミーティングルームに入って待つことにした。
そこに、たんたんは見知らぬ若干太ましい男性が入ってきた。本人の自己紹介によれば沼倉さんという名前で、ぬーさんと呼ばれているとのことらしいが、この人も分析基盤の人なのだろうか、それともデータの障害の状況を聞きに来た別の部署の方なのだろうか。
時間になり、よりーさんもミーティングルームに入ってきた。ミーティングルームは3人になり、話が始まった。
「それで、何が起きてたんです?原因とかわかりました?」
「オペレーションミスというか、スクリプトかなにかの暴発で大量にTRUNCATEが打たれたみたいです。誰がやったのかはアカウント見ればわかるんで詳しい話はこれから聞きに行きますけど。
で、データの復旧はまあ問題ないです。元データはそれぞれ別の場所にありますからね。」
それから、今後の細かい対応やら、偉い人たちへの説明はどうするなど、一通りの相談をしている2人をたんたんは眺めていた。
話が終わって部屋を出るところで、たんたんはようやく疑問に思っていたことを口にする機会を得た。
「茜さんって、結局こられないんですか?」
「ぬーさん、ひょっとして僕が来るまでの間に、話してなかったんですか。。。」
「そういえば忘れてました。。。申し遅れました。茜さんの中の人です。」
え、ええ、ええええ、、、、
データ大修復、そして
そこからの対応は粛々と進んだ。翌日になるとデータも復旧して、これまでどおりの日常が戻ってきた。
もうすぐ13時、茜さんともう一度話そうといっていた時間である。昨日の障害があって彼女(彼?)がその時間に来るかは少々疑問だったが、たんたんは一応待機していた。
昨日の出来事により、たんたんは茜さんが言っていた『対応してはいけない理由』がなんとなく理解できていた。しかし、さらなる疑問も浮かんできていたため、それをぶつけたいと思っていたのだ。
13時になるとともに、茜からSlackのダイレクトメッセージが飛んできた。どうやら約束は覚えてくれていたらしい。
akane:
昨日は失礼しましたわ。それで、対応してはいけない理由というのは思いつきました?
中の人は男性なんだよなあ。バレているのにDMでもこのキャラ付けで通すんだなあ。などと思いつつ、たんたんは自分の考えを書き始めた。
分析基盤の考え方
tantan:
昨日の出来事があって、なんとなくですけれどわかりました。
誰かの作業のミスでデータが突然消えたり、分析用データベースが不具合で落ちてしまったりしたときに復旧が難しかったりしてしまうことがダメなんじゃないかなって。
分析用のデータベースは分析をするためにデータを集めるところだから、必ずどこかに元データがあって、だからこそ今回いくつかが消えてしまってもデータの復旧ができたんですよね。私が提案した方法だと、分析用のデータベースにだけあるデータというのができてしまう。」
akane:
すばらしいですわ。不謹慎ですけれど、昨日の出来事はあなたにとってはプラスになったようですわね。
tantan:
そうなると、今回の依頼の対応としては、追加で定期的にバックアップを取るとか、そういうのが正しいやり方になるんでしょうか?
akane:
バックアップという考え方はとてもとても正しいですが、惜しいですわね。それだと何かが起きたときにバックアップの時間までデータが戻ってしまいますわ。そうなるとバックアップの時間以後に書き込まれたデータは誰も把握できないでしょう。それだとお客さんの情報の管理をするには非常に不都合ですわ。
tantan:
たしかに。。。そうなると、どうやって対応するのがいいんでしょうか。
akane:
今回でいうと、受注のデータはサービスのデータベースにデータが入っているわけですから、そちらに管理画面を作っていただいて売上の管理もできるようにしていただくというのがおそらく最も正しいですわね。サービスのデータベースは分析用のデータベースよりも管理が堅固で、今回のようなデータのロストが起こる心配が圧倒的に少ないわけですから。
tantan:
要するに、分析基盤としては対応しないということですか?
akane:
そうなりますわ。だから最初に言ったでしょう。『その依頼自体は残念ながら対応できない』と。あ、ちなみに今話したような内容はすでに彼らには伝えてますから、あなたから改めて連絡する必要はありませんわ。
専門職という人たち
これまでたんたんは誰かから依頼を受けた時は、可能な限りそれを叶えるようにするべきだと考えていた。だから、今回の茜さんの『対応しない』という対応は衝撃的だった。
akane:
あなたはきっととても真面目な方なんですわね。誰かに頼られると、頑張ってそれに応えたいと思う。それはとてもすばらしいですわ。
だからこそもう少し視野を広げて、本来あるべき姿を考えたり、よりよい答えを探すということを覚えて欲しいですわね。出来ることや、お願いされたことをその通りにやるよりも、もっと良いやり方があることもあります。
私はその判断が出来るから、こうして分析基盤の管理をすべて任されています。それは同時に正しい判断をしなければならないという責任も負っているということです。専門職というのは、得てしてそういうものです。」
tantan:
はい。勉強になりました。そして、ご迷惑おかけしました。」
akane:
ご迷惑?とんでもない。
最近、データ分析というものが一般的になってきましたけれど、その裏にある分析基盤というのは、まだまだスポットがあたらないお仕事です。そして、スポットがあたらないということは、それの実態とか、どういう考え方をするべきかについて、知っている人が少ないということです。
ですから、あなたが最初に間違った方針を考えてしまったりするのは当然ですし、その相談を受けて私がそれを正したのも必然です。迷惑なんて、とんでもない。今後も相談してくれて構わないですわ。
あなたはまず自分でちゃんと方針を考えてきました。そして、私が考え直しなさいと言ったときに、しっかりとそれにも答えを持ってきました。その姿勢がとてもすばらしい。
だから、私はあなたに敬意を表します。お互いがお互いに敬意を払っていられるうちは、何も心配は要りませんわ。
tantan:
茜さんって、なんだかビタミンDみたいな人ですね。あまり馴染みのない栄養素でとっつきにくいけれど、カルシウムの吸収を助けるという、生きていく上でとても重要な役割を担っているような。
akane:
そう言われたのは初めてですわね。。。。あなた、なかなかどうして愉快な方じゃあありませんか。気に入りましたわ。
最後に「ではごきげんよう」と残して、彼女は再びオフラインになった。
ひょっとして、と思って先日の動画配信サイトにアクセスすると、『Vtuber 秋野茜のお悩み相談コーナー』が始まっていた。
たんたんは、しばらくその番組を聞いていた。視聴者のネタに走ったりする書き込みから真面目な書き込みに、彼女が同じくユーモアたっぷりだったり真剣だったりしながら答えを返している。
「そうそう、最近お仕事の方でご一緒させていた女性に面白いことを言われました。彼女によると、私はビタミンDに似てるらしいですわ。」
どっと書き込みが増える。
「なにそれwww」
「不思議ちゃん」
「どういう意味www」
「その子かわいい?」
「紹介して」
「茜さんのビタミンD(意味深)」
「かわいらしい方でしたわよ。今回はあまりお話できませんでしたけど、いずれはもっとお話してみたいですわ。まあ、変わった子なんでしょうね。」
あなたほど変わってはいないと思うけどなあ、とたんたんは心の中でツッコミをいれた。
次回予告
「個人情報が漏洩してうんぬんって、よく言われますけど、個人情報ってそもそもどういうものなんですか?」
「個人情報か。まあ分析やってたら避けては通れないよね。よし。あの人に聞きに行こう。」
「おー、ついに彼が登場ですか。」
「え、え、彼って誰ですか?また怖い人が出てくるんですか?」
「怖いですよ。ある意味ね。」
次回、「たんたん、個人情報に出会う」
F社グロースチーム。来週もお待ちしています。